アジアにおける「ソーシャリー・エンゲージド・アート」

ジャネット・ピライ / Janet Pillai(マレーシア)

Arts-ED創設者 / 2006年度ALFPフェロー

「ソーシャリー・エンゲージド・アート」とはパブリックアート(公共空間に設置される芸術作品)の新たな形態で、アーティストが社会状況の中で、コミュニティや大勢の人々とともに継続的な創作活動を行い、人や社会の変化を目指すもののことだ。ビジュアルアート、演劇、メディア芸術、建築、工芸、キュリナリーアートなど、さまざまな芸術分野の人々によって主導される。今日のアジアにおけるソーシャリー・エンゲージド・アートの実践は複合的かつ異種混合的で、コミュニティとの協働による公演・展示、公共空間の活性化、地域の祭りやイベントの共同企画、文化財や文化活動の再生など、その試みにはさまざまなものがある。

従来、文化や芸術はコミュニティにおける集団的営みから生まれるもので、地域の物理的・社会的・生活的側面と密接に絡み合っている。しかしながら今日のアジアでは、いくつかの要因によって、集団的な文化活動やコミュニティの関係の維持が難しくなっている。高度に都市化された環境、近代的な労働経済、強制移住、農村部の過疎化、資本の統制などが原因で社会的・文化的共同体が弱体化し、芸術・文化・社会の間に大きな溝が生じている。その土地土地の文化活動や社会構造、地域経済の重要性の低下や崩壊によって、“演者”としてのコミュニティの役割は衰退し、無関心な “見物人” や “消費者” になってしまった。

ソーシャリー・エンゲージド・アートの実践は、脱工業化のアジアにおける小さな運動の高まりとも並行し、脱成長やワークライフバランス、内発的発展、文化的権利、インクルージョン(多様性の受け入れ)、自然に配慮した環境などを訴える。さらに重要なことに、ソーシャリー・エンゲージド・アートはその「文化や芸術の制作プロセス」を通じて、“演者”としてのコミュニティの復活に力を入れている。それはアートの概念を、コミュニティによる共有・共感・共生といった固有の価値を伴った対話的・双方向的なものへと変化させる。また、ソーシャリー・エンゲージド・アートの実践はアクセシビリティーとインクルーシビティー、つまり、理解のしやすさと誰もが関われるという原則に基づき、しばしばコミュニティや多様なステークホルダー(利害関係者)との協働を伴う。妥協したアートと批判する人も中にはいるが、社会における文化の担い手の復活を目指す文化政治への介入の在り方の一つと捉える人もいる。

アジア各国の政府は今、政治離れや都市型の孤立がテクノクラシー(技術官僚が政治や社会の支配権をにぎる体制)だけでは解決できないことや、そうしたコミュニティレベルの課題に対処するだけの語彙と専門知識を自分たちは有していないかもしれないということに気づき始めている。シンガポール、台湾、タイ、日本といった国々では、文化的媒体や共同体との協働を通じて社会・生活・環境関連の問題を解決する、あるいは都市空間をより人間的なものにするような政策転換が、すでに検討されている。

リサイクルビンを作る公営住宅の子どもたち(写真提供:Arts-ED)

政府機構に住民の孤立に対応する準備がなかったとしても、政府をはじめさまざまな機関が、アーティストや芸術・文化をコミュニティ構築やプレイスメイキング(居心地のよい場の創造)、さらには参加型の企画や政策決定さえをも促進する“触媒”と見なしているという証拠は増えつつある。社会に根ざすアーティストは、自らを文化的媒体と見なす創造性に富んだ人々だ。彼らの活動は、アートや文化を通じてコミュニティあるいは空間に入り込み、積極的な関与や問題解決、変革を実現する。昔ながらの官僚的手法が失敗に終わったようなところであっても、そうしたアーティストたちは、想像力と創造性と批判的精神を用いて集団的参加や戦略的パートナーシップを通じた再活性化を推進し、新たな視点や活用法を提案することができるのだ。

マレーシアでは2008年から2018年にかけて、「シンクシティ(Think City)」という政府の投資部門によって創設された組織の主導で、選ばれた4つの町の荒廃した都市空間を再活性化させる芸術プロジェクトが実験的に行われた。「創造的な都市」というコンセプトのもと、官民連携とクラウドソーシングの活用を通じて、アイディア作りのプロセスの民主化とより広い参加を目指すものだ。主な助成事業では、政府・企業・NGO・コミュニティと、文筆家・職人・芸術家・建築家・デザイナーといったモノづくりに携わるプロフェッショナルとの協働を促し、空間の緑化と活性化、文化財の保存、人材育成、知識の普及といった取り組みを推進する。

その影響評価報告書(2017年)1 では、いくつかの興味深い調査結果が明らかになった。コミュニティを核とした公的助成事業は人間関係やパートナー関係の構築に役立った一方、個別の事業は戦略に基づいた全体的フレームワークと結びついたときに限って効果があったこと。共通の価値に基づく官民連携が成功に不可欠だったこと。コミュニティによる持続的関与が難しい取り組みや空間は、いずれビジネス部門に吸収される可能性が高いことなどだ。

ゴミ問題についてのビデオを制作する公営住宅の子どもたち
(写真提供:Arts-ED)

マレーシアでは、ソーシャリー・エンゲージド・アートのグループや個人による小規模な取り組みは、都市化が進んだ西海岸沿いに点在している。ラカン・マンティン(Rakan Mantin)、アーツED(Arts-ED)、ブク・ジャラナン(Buku Jalanan)がその例だが、これらの小さなグループは、文学、ビジュアルアート、祭り、舞台芸術などを通じて、識字率の向上、文化の保全、コミュニティ構築といった地域特有のさまざまな社会問題に取り組んでいる。

日本においても、芸術プロジェクトは地方自治体、大学生の研究プロジェクト、オルタナティブ・アートスペース(美術館やギャラリー以外の多様な場所を活用した芸術空間)やミュージアムの関心を集めている。市民参加型の芸術プロジェクトには大小さまざまなものがある。大規模なのは越後妻有アートトリエンナーレと瀬戸内国際芸術祭で、県や市の自治体が過疎地の活性化と経済振興を目的に始めたものだ。いずれも多くの若者ボランティアや観光客の誘致につながった一方、アートツーリズムのイベントに変わってしまいかねない側面もあった。

しかしながら、BEPPU PROJECT、取手アートプロジェクト、ココルームなど、日本で行われている芸術プロジェクトの大半は小規模で、社会資本の構築、新たなコミュニケーション経路と信頼の確立、地域社会と住民のつながりの強化、多様性豊かなコミュニティづくりといった課題に力点を置いていることが多い。こうしたプロジェクトにおいて、アートを通じた共創の取り組みは移民や高齢者、ホームレス、障害者などが直面する経済的・政治的・社会的隔たりを超えて、新たな連帯を生み出している。

1990年から2012年には、アーツカウンシル東京が東京藝術大学との協働で、「Tokyo Art Research Lab(TARL)」と呼ばれるプロジェクトを実施した。若者向けにさまざまなコースを開催し、コミュニティ内の協働アートプロジェクトを支援し、その成果を公表した。研究リーダーを務めた熊倉純子氏(東京藝術大学教授)は、2015年に発表された報告書2 の中で、日本におけるこの新たな実践の特色を「プロセスの重視」「社会的文脈を考慮したその土地の固有性」「波及効果に期待した持続的な事業運営」「多様な人たちとの対話的エンゲージメントと、芸術以外の社会分野との協働」と簡潔に紹介している。

シンガポールにおけるアートと社会について議論するには、この国に住む人々の8割が政府の所有する100万戸の公共アパートに住んでいることに触れなくてはならない。シンガポール国立大学のジャスティン・リー氏とジュイ・リアン・シム氏は、「芸術を基盤にしたコミュニティとの協働」と題した2017年の記事3 の中で、「シンガポールにおけるソーシャリー・エンゲージド・アートは、国が財政的に支援する草の根組織と、統制された地域開発の中で機能する」と述べている。

シンガポールでは、ソーシャリー・エンゲージド・アートに対する国の財政支援が近隣諸国に比べて際立っている。草の根のアーティストにとってはありがたいことだが、それには代償も伴う。アーティストたちが財政支援を受けやすくなるのは、社会福祉事業の提供者、病院、地域団体などと連携した活動や、コミュニティの連帯、国家のアイデンティティー、人種間の調和の促進といった国が推進する政策に沿った活動を行ったときだからだ。

そうした状況にもかかわらず、市民を政治づかせるソーシャリー・エンゲージド・アートは、ドラマボックス(Drama Box)、パーティシペート・イン・デザイン(Participate in Design / P!D)、アーツ・フィッション(Arts Fission Company)、ベリー・スペシャル・アーツ(Very Special Arts)といった組織の活動によって、シンガポール国内でゆっくりと、少しずつ成長している。媒介的な組織である同国のアーツワック・コラボレイティブ(ArtsWok Collaborative)は不可欠な役割を果たしており、社会的活動に携わるアーティストのための境界線や政策を交渉したり、そうした芸術活動の発展に向けた人材育成や対話のためのプラットフォームを提供したりしている。

今日アジアの多くの地域において、ソーシャリー・エンゲージド・アートの実践(より広義には「応用芸術」)は、減災、都市の再活性化、医療・教育、移住、文化遺産や環境の保全、コンフリクトマネジメント(対立管理)、高齢者介護などさまざまな分野に進出し始めている。ただ、アジアにおけるソーシャリー・エンゲージド・アート活動の役割とインパクトについては、さらなる文書化と研究が必要だ。もちろんそれには、そうした活動がコミュニティの社会的・精神的・物理的な“健康状態”に与える影響を計るための新たな手法の開発が不可欠となる。

今日アジアにおけるいくつかの脱工業国は、国民の間にかつてあった集団的主体の喪失を懸念する一方で、そうした主体を国民に“返還”すること、言い換えれば将来像を国民自身が想像し、定義し、創造するよう促すことに引き続き慎重だ。というのも、それには新しい政治と公的領域への新たなアプローチが必要となるからだ。その過程には、分権化させる、個々人に手段と管理可能な生産規模を与える、公的管理を可能にし、小規模市場やシェアリングエコノミー、水平的な社会構造といった原則を取り入れるなど、産業モデルの転換が求められるかもしれない。

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※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。

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