スリランカにおける視覚芸術と政治・社会 

ササンカ・ペレーラ / Sasanka Perera(スリランカ)

南アジア大学 教授 / 2010年度ALFPフェロー

私は近年の研究の中で、絵画、彫刻、インスタレーション、舞台芸術といった視覚芸術は、芸術家が政治的感覚を創作時に生かせば、社会の状況や変化についての歴史的記録、評釈として成立し得るという確信を深めた。1 こうした芸術は「政治的芸術」だとばっさり片づけられかねないのだが、これまでの芸術批評は、芸術と政治の関係について、かならずしも綿密に考えていたとは言えない。例えばある時期のある国が、政治的、社会的に不穏であったとしても、それだけで、政治的なメッセージがこめられた芸術が生まれるということにはならない。不安定な社会状況下では芸術家の身辺にも危害が及びかねず、そうなると芸術家も政治に口出しをせずにあたり障りのない美の世界に閉じこもりがちになる。スーザン・ランドアーが、文化的・政治的な混乱が「その不穏さに情動的に反応した」芸術を生むとは限らない 2と述べているのも、そうした消息に言及したものだ。1960年代のニューヨークの前衛芸術家たちが、アメリカだけでなく世界の多くの地域を揺るがした当時の深刻な政治的危機に比較的関与しなかったのは、その典型例だと言えよう。3 スーザン・ソンタグは、前衛芸術家たちのベトナム戦争に対する不関与を「沈黙の美学」4と呼んで揶揄している。

とはいえ、芸術と政治の関係性は一通りではない。例えば、戦争、暴力、ファシズムに対する批判が明白に見て取れるかの有名な「ゲルニカ」を描いたパブロ・ピカソや、風刺的な表現で知られるジョージ・グロスのように、自分たちを取り囲む政治状況に作品を通して関与する芸術家も少なくない。しかし一般的に芸術家は、政治色のある芸術は陳腐だとか単純だとかといったレッテルを貼られがちなのを敬遠して、作品の中に政治的要素を入れたがらないのだ。 5

こうした視点から、私はスリランカの1990年代以降の芸術を「意識的な政治的芸術様式」と総括して理解している。私の念頭にあるのは「90年代派」と呼ばれる表現様式で、それはスリランカの政治動向を意識的に取り込み、戦争、暴力、ナショナリズムから、自己アイデンティティ、ジェンダー、都市化に至る政治的な問題を、いろいろな表現レベルで芸術化している。ジャガス・ウィーラシンハが述べているように、この派に属する芸術家の多くは2つのグループに大別される。「暴力、強奪、絶望の記憶を引きずりながら生きる者たちと、魅惑的な奇しき美と都市文化がもつ捕えどころのなさの虜となった者たち」 である。彼らの作品の多くは、混沌的な状況を再構築してとりあえずの秩序感覚を取り戻そうとしたり、「当惑した意識を理性的な意識として」7 捉え直そうとしたりする。また他方では、混沌と当惑の状況を、シュールで神話的な視覚的言語で表現したものもある。8

図1:「ドラム缶男」/ 写真提供:シールサ国際
アーティスト共同アーカイブ(コロンボ市)

この関連で、チャンドラグプタ・テヌワラの「ドラム缶シリーズ」(Barrelism) という通称で呼ばれている、迷彩色に塗られたドラム缶が中心となっている一連の絵画とインスタレーションがある。ドラム缶は軍(戦争)の象徴で、見る者に、スリランカの内戦とそれによってもたらされた人間性の破壊を想起させる。一方パラ・プサピティエの、スリランカの中心勢力であるシンハラ族社会で英雄となった兵士たちに焦点を当てた一連の作品は、兵士たちが死と意気阻喪させる重傷に満ちた戦争の中で、名誉とはうらはらに、いかに悲惨な心的傷害を負ったかを描き出している。バンドゥ・マナムペリの舞台芸術の多くは暴力をはらんでいる(図1)。

ジャガス・ウィーラシンハの作品の相当数も、組織的な政治的暴力と、それに対する宗教界とマスメディア界の組織的共謀をテーマにしている(図2)。

図2:「蛇とマイク」/ 写真提供:シールサ国際
アーティスト共同アーカイブ(コロンボ市)

今日、これらの芸術作品を抜きにしては、スリランカの現代史を十分に語ることはできない。つまり、スリランカの政治的芸術は、スリランカの歴史と政治をよく知るための社会的・政治的情報を提供してくれる媒体として捉える必要がある。この意味で、スリランカの政治的芸術は、単なる美の領域を超えて、抗争と紛糾に満ちた政治的・歴史的解釈の領域に入り込んでいるのである。

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