無償のケア・ワーク——誰の仕事かが重要な理由

セパリ・コテゴーダ / Sepali Kottegoda(スリランカ)

Women and Media Collective プログラム・ディレクター / 2004年度ALFPフェロー

無償のケア・ワークの現状は、無報酬でケアを行う人々が有償労働市場に参画し、有償労働者として定着できるかどうかに影響を与えるとともに、ケアに携わる者すべての労働状況に影響を及ぼす。この「無償のケア・ワーク―有償労働―有償のケア・ワークの循環」も、ケア・エコノミーの外側の有償労働における男女不平等に影響を与えているほか、家庭内の男女平等や、無償のケア・ワークを提供できる男女の能力にも影響している。1


家族の面倒をみる。家族の幸せ。食事の支度。洗濯。家計の管理。子どもや老人など能力がまちまちな家族の世話。これらは日々の仕事で、常に誰かが誰かのために行っている。日常の家庭生活で普通に受け入れられている規範や当たり前と考えられている慣行——これらは、実は「社会規範」という枠組みに深く根差している。だから何だと質問する人もいるだろう。これまでそうしてきたし、そうあるべきだし、これからもそうだから。ケア・ワークは誰かがやらなければならないことであり、常に誰かがやっている。問うべき(とはいえ、大抵は問われない)は、「誰が、なぜケアするのか」ということである。

ここでの問題は、「ケア」の概念が必ずしも「ワーク(仕事)」と結びついていないことである。「ケア」はしばしば、利他主義や無私に基づく行為、あるいは家族のための自己犠牲とひとからげにされている。また、ケア(世話)は女性の仕事という性別による労働分担とも関わっている。主流派の経済学や一般の人々認識において「ワーク(仕事)」は、例えば「仕事がある」や「仕事を探す/雇用される」などの、金銭収入をもたらす活動として理解されている。家庭の中の、一見「自然」に見える労働分担の根底にある社会的、経済的、政治的な要因について、疑問を投げかけたり批評したりすることは皆無である。

19世紀にフリードリッヒ・エンゲルスが著した『家族・私有財産・国家の起源』(岩波書店、1965年など訳書多数)は、家庭内における女性の抑圧を、女性に対する経済的抑圧の結果として社会主義の立場から検討した先駆的な著作である。2 1980年代のフェミニストは、女性の仕事と労働の問題に焦点を合わせ、グローバル資本主義市場が商品を生産するための労働力として女性労働者を求める場合に、子どもを産む性としての女性の役割の重要性を認識していない点を鋭く考察した。3 1990年代末には、女性が家事労働に費やす時間を計測する国民経済計算の制度の開発に対する関心が高まった。フェミニストの経済学者は、こうした計測値が、家庭内で行われている無償のケア・ワークの社会的側面を依然として考慮していないと論じていたが、他の研究者には、国民経済計算の手法は、労働、社会支援プログラム、男女平等に関する有意義な政策変更に向けて、無償労働の社会的側面を織り込めるように設計されているはずだと主張する者もいた。4

こうした議論のなかでこそ、私はスリランカにおける無償のケア・ワークの問題を取り上げたいと願っている。スリランカのケア・ワークが、政策に関する主流の経済論議の蚊帳の外に置かれ続けているからだ。

スリランカの経済社会指標の一部を簡単にご紹介すると、推定人口2,100万人のうち、51%が女性、49%が男性である。国による医療保険・教育サービスの提供の歴史は長く、支援サービスは広範囲に行き渡り、老若男女を問わず利用されている。5 男女比(女性100人当たりの男性の数)は、2012年の総人口では93.8人、60歳以上の人口では79人であったが、2032年までに、総人口では92人、60歳以上人口で78人になると推定されている。6 つまりスリランカは今後20年間で高齢化する中で、男性より女性の高齢者の数が大幅に増えるということを認識する必要がある。またその結果として、家庭にいる高齢女性の大半がケアを必要とするようになると考えられる。

教育・医療サービスの無償提供の歴史が長い点で、スリランカは立派な事例であるが、女性の労働参加率は34.9%と、男性73.4%のほぼ半分である。7 「経済活動に参加していない」に分類される推定770万人のうち、74.3%が女性である。ここで問題となるのは、女性の60.5%と男性の4.9%が「家事に従事」しているということである。8

ここには本質的な問題がある。それは「労働 (labor)」や「仕事 (work)」の概念(の国際的定義)の中に、どのような基準や価値(社会的、経済的、政治的)が内在しているかという問題である。家庭における家族の世話を中心とした家事労働に、その経済的価値が認められない理由は何なのか。さらには、「フォーマル・セクター」や「インフォーマル・セクター」を問わず、所得を得る何らかの活動に従事する女性は、経済的価値を与えられない「家事労働」も行うことが期待されているし、実際に行っている。またこうした女性(や男性)が行う家事労働 も、経済開発を目指す政策には織り込まれていない。家庭内の私的な仕事も、所得を得られる公的な仕事も、両方がその価値を評価されるようにするために、フェミニストの視点を踏まえた議論を取り入れるときではないだろうか。すべての国民の発展を目指す効果的な政策の立案や実施を妨げる男女差別的な社会規範や慣行に異議を唱えようとするなら、無償のケア・ワークの存在を認知し、それらの無償労働を減らし、再配分することが不可欠だと認めるときではないだろうか。

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※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。

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