発展途上にある多文化共生

ダイアナ・ウォン / Diana Wong(マレーシア)

新紀元大学学院 学部長 / 1998年度ALFPフェロー

人の移動と多文化共生は、東南アジアにおいて何世紀も前から生きた現実だ。インドと中国の偉大な文明の間に位置するこの戦略的な地域で、そして後には、植民地世界の大港湾都市で、ヌサンタラ(東南アジアの島嶼軍)とナンヤン(南洋)の海域世界が出合い、交易し、交流した。アジア各地からやって来た、異なる言語を話し、異なる宗教を信仰する移民や難民がこれを、「自分たちの生計は、他の誰でもなく、自分たちが義務を負うもの」という共通の信念のもと、文化的に多元で社会的に開かれた世界へと変えた。のちに名高い歴史学者となる王賡武(ワン・ガンウー)は、戦時下の中国・南京で過ごした後東南アジアに戻ったとき、中国大陸での閉鎖された社会と比べて東南アジアが「開かれた」社会であることに驚いた。

一方で、東南アジアの多文化移民社会の現実には別の側面もある。ファーニバルの有名な描写にある、植民地国家の保護下で管理されない移住・移民がもたらす、機能不全の「多元社会」だ。この多元社会モデルでは、植民地国家の監視の下、異なる社会集団がそれぞれ別の生活を営み、会うのは市場に限られている。しかしながら、19世紀の植民地社会を表すこの描写は、偶然の出会いがあったり、人々が日々交流したり順応しながら過ごす市場および民間信仰の祭り、学校、さまざまな背景を持つ人が入り交じった地域などの「ミドル・グラウンド(中立的な場所)」の存在を見落としている。このようなミドル・グラウンドは空間的・社会的な境界線の中に限られており、その外では個々のグループがそれぞれの生活や習わしを維持する形で多文化共生が実現されていたが、境界が穴だらけ状態で、社会的な実験や変化が見られる空間としてのミドル・グラウンドの重要性は、見過ごすべきではなく、また軽視すべきでもない。

移住そのものが本質的に集団の形をとる傾向にあり、移住者は新たな環境で新たな生活を模索する中で、必然的に互いに助けを求め、集団化するものだ。さらに、ほとんどの場合は、移住者を一般市民から隔離し、外との交流を避けた特別な地域をあてがうのが国の方針である。これはアジアの帝国(唐時代の中国やマラッカ王国)だけでなく欧米の旧宗主国も同様で、さまざまな文化的背景を持つ従属民に対する暗黙の政策は「分割統治」だった。

従って、移住と多文化共生に関する東南アジアの経験を論じるに当たり、過去のコスモポリタニズムを美化すること、そして社会の閉鎖性とあつれきが避け難いものと強調することはどちらも危険である。国民国家としてのマレーシアの近年の歴史が示すように、多文化共生はまだ発展途上の段階にある。移住者が定住し、植民地が独立と自治を獲得する過程で、主権国民国家内における多文化共生の条件を交渉する必要があった。人種と宗教という政治的・経済的問題により、交渉は難航し、今も最終的な合意に至っていない。

過去数十年に世界各地で起きた人の移動は、かつて「同質」だった国民国家を、植民地時代および植民地独立後の時代の多民族的な「多元」社会型の政治的実体に変化させた。それに付随する問題が依然として存在する中で、多文化共生の問題、より具体的には多文化共生がよりどころとすべき、あるいはよりどころにできる条件に関わる問題が、至るところで緊急性を帯びている。筆者は次のような教訓をお互いから学ぶ必要があると考える。

日常的な違いに対する社会的受容

これまで、国境地帯や植民地社会における「ミドル・グラウンド」の経験は、(人との間に)違いがあるという社会的な事実や、その事実を認めることに、慣れたり受け入れたりすることを容易にしてきた。これで偏見や固定観念が払拭されるものではないが、市場や街中など公共の場所での社会的交流が促される。これは社会性の一形態であり、軽んじたり無視したりすべきではない。このような非公式の交流から他者への認識が生まれる。こうした交流がないと無視や無知、さげすみが起きる。このようなミドル・グラウンドがなければ、正規の法律で移民・移住者を規制しようとする国家の試みにより彼らの存在が目立ち、それによって生じる恐れや拒否反応も強調される。経済協力開発機構(OECD)諸国における移民および難民統治の過度な法制化は、移民管理の財政的・経済的コストを上昇させるだけでなく、こうしたコストの上昇を許すことで、移民の受容に関する社会的コストも上昇させる。

国による法的規範の制定と優れたガバナンス

マレーシアは経済を維持するために、低賃金の移民労働者を採用するというリベラルな政策を導入して、国内の賃金水準と資本投資に悪影響を及ぼした。公式の発表では、マレーシアの全労働力に占める外国人労働者の比率は、2017年に12%だった。最近の論文では、不法労働者が国内に遍在していることを考慮し、最大で600万の外国人労働者がマレーシアで働いており、そのうち合法的に働いている者が227万人、不法労働者が250万〜337万人いる可能性を指摘している。合法・不法いずれのカテゴリーに属する労働者も、十分な法律上の権利や保護を享受していない。問題の本質は主に、外国人労働者の募集、採用手続き、就職あっせんが年間20億リンギット(約500億円)を超えるビジネスであり、その収益を政府高官と密接なつながりを持つ人材あっせん企業が得ていることにある。腐敗がはびこり、搾取が横行している。差し迫って必要なのは、移民管理に関する透明性のある法律の制定と優れたガバナンスだ。現在の、移民が負担するコストと、地域社会にかかる外部コストは実に高すぎる。

人の移動——すなわち移動する能力、意思、そしてしばしば発生する移動の必要性は、人が生きる上で欠かせないものだ。移住は個人や社会にとって常に、自己改革の機会であり続けている。同時に、知らない人や自分とは異なる生活様式を受け入れられない、あるいは受け入れたくない人や社会にとっては脅威である。今日、移住と多文化共生は世界共通の課題であり、好意や善意溢れる「受容の文化」だけでは解決できない深刻な問題だ。ヨーロッパが近年経験した集団移住の問題から明らかになったのは、無責任なポピュリスト政治家が政治の舞台を乗っ取り支配する前に、冷静に議論し、有効な政策を策定することの必要性だ。国、市民社会、移民・移住者など、関係者は皆、積極的に過去の経験から学び、ミドル・グラウンドに出て行かなければならない。

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※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。

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