国際移住問題に対する包括的アプローチの必要性
张雅莉(ザン・ヤリ)/ Zhang Yali(中国)
ニューヨーク市立大学大学院センター 政治学博士 / 2011年度ALFPフェロー
人の移動は目新しい現象ではないが、グローバル化の進展とともに着実に加速しつつある。国連の推計によると、2019年の国際移住者の数は、2010年の5,100万人から2億7,200万人に増加した。ヨーロッパと北米に加え、北アフリカとサハラ以南のアフリカ、および西アジアで移住者が急増した。さらに近年は、シリア、南スーダン、ミャンマー、ベネズエラなど世界各地でみられたように、戦争、紛争ならびに人権侵害が要因となり、自発的な移住よりも強制移住が急速に増加してきた。1
大勢の移民を受け入れるに当たっては、法と秩序から職、教育、医療に至るまで、幅広い社会 サービスを提供する国の能力が試される。加えて、文化、価値観、ライフスタイル、さらには宗教の対立が、異なる社会集団の間に緊張を生み、社会不和を招く。現在みられる国際移住者の分布の偏り、強制移住の大幅な増加、移民・移住者の多様性といった要素が相まって、個人、社会、政策決定者、世界の指導者たちに、これまで以上に新たな課題を突きつけている。
国境の閉鎖や壁の建設をもってしても、移住の潮流は止められない。この喫緊の課題に対処するには、構造、国、社会のそれぞれのレベルでの協調的行動を必要とする、包括的アプローチが求められる。
何よりもまず、平和は強制移住の増加を抑制し、秩序ある移住を可能にする唯一の方法である。シリアの内戦からミャンマーのコミュニティ間の紛争まで、戦争や紛争は国を荒廃させ、人々の生活を破壊し、未来を求めて集団移住する人々を生み出している。ヨーロッパの移民危機が明確に示すように、グローバル化した世界では戦争や紛争の影響から逃れられる国はない。従って、構造レベルでは、紛争の防止、紛争解決に向けた対話、国際秩序の尊重、国際ルールや規定の推進等のあらゆる取り組みが戦争と紛争の減少に寄与し、非正規移住を生み出す構造的要因を最小限に抑えることになる。
他方で、母国の平和と経済の発展は、移住者の自発的な帰国を促すことにつながる。私が住んでいる米国の町で気づいたことだが、日本人が米国へ移住したのは主に1980年代で、その後1990年代に韓国人、そして近年は中国人である。このパターンは、これらの国の経済発展と相関関係にある。母国の経済が発展すれば、その国の国民が一時的に他国に移住した後、帰国する可能性が高まる。現在、米国に住む中国人学生がそうだ。20年前と比べて、卒業後に中国に戻る学生が大幅に増えている。
世界各国は協調して行動する必要性を認識し、2018年、国連の下で政府間合意「安全で秩序ある正規移住のためのグローバル・コンパクト(GCM)」を交渉、採択した。GCMは、移民に対する法的人格や、適正な仕事と基本的サービスへのアクセスの確保、ならびに社会への完全な受け入れと融合など、23項目の目標を規定している。2 採択に当たり、164カ国が署名して強い政治的意思を示したが、主な移民受け入れ国が国内有権者のプレッシャーを受けて署名に消極的だったという事実から、それぞれの社会内部において、移住をめぐり根深い緊張と分断があることが分かる。3
ヨーロッパにおける移民集団と受け入れ側の社会の間に生じた緊張関係が示すように、有効な移民政策には移民に門戸を開くだけでなく、移民を社会に溶け込ませる努力が必要である。偏見や差別や非難は、移民が移住先の文化や社会に溶け込み、一体感を得ることを妨げるだけだ。極端な場合には、過激思想やテロに走ってしまうこともある。5 従って、国家レベルでは、他の市民と同等の権利を移民に与える法律や政策を策定することが重要だ。差別のない環境を推進するため、ジョン・F・ケネディ大統領は1961年、マイノリティを平等に雇用・待遇することを命じる初めての「アファーマティブ・アクション(積極的差別是正措置)」を進めた。アジア諸国の中には、少数民族に有利な中国の教育政策や、地理的に不利な環境にある学生が高等教育を受けられるようにするスリランカの標準化政策のように、不利な条件に置かれた社会集団を支援するアファーマティブ・アクションを導入した国もある。6
社会レベルでは、移民の受け入れと融合を助け、促進するに当たり、民間団体(NGO)が重要な役割を担うことができる。私自身、「Asian Americans for Equality (AAFE)」という米国のアジア系アメリカ人の支援を行うNGOの助けを受けた経験がある。その名前が示すように、AAFEはコミュニティ内における平等の推進を目指しており、適正な住まいを得る権利の確保から、クライアントが社会支援プログラムを受ける手助けや少額の貸付のほか、第二言語としての英語コースや市民教育を提供するなど、さまざまなサービスを提供している。7 またアジアの文化をたたえ推進する活動や、アジア系移民の意見や懸念を政府に伝え、関心を向けてもらうために彼らの政治参加を促す活動も企画する。この組織を通じて、アジア系アメリカ人は、新しい国での生活に適用するために必要な資源を得るだけでなく、自らが属し、頼ることができるコミュニティを見つけることができるのだ。
グローバル化の加速に伴い、世界中のコミュニティが多文化共生という現実に直面している。移民の74%が労働年齢にあることを考えると、移民の流入は課題だけでなく機会をもたらす。 特に、労働資源が不足している高齢化社会にこれが当てはまる。移住に対する取り組みとして、同化により共通のアイデンティティが形成される「メルティングポット(るつぼ)」アプローチと、法律と市場のつながりの下、別々の文化を維持することを提唱する「サラダボウル」アプローチのどちらを選ぶかという議論が続いている。8 それでもなお、人種差別と排外主義は憎悪と不信を生み、社会を分断し、過激主義の原因となるだけだという点ではどちらのアプローチも一致するだろう。国連教育科学文化機関(UNESCO)が正しくも指摘しているように、「生物多様性が自然にとって必要なように、文化の多様性は人間にとってなくてはならないもの」である。10
※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。
ハイフンという問題:国際結婚で生まれた子どもたちとアイデンティティ
ハイフンという問題:国際結婚で生まれた子どもたちとアイデンティティ
ネリア・バルゴア / Nelia G. Balgoa 1(フィリピン)
国立ミンダナオ大学イリガン工科校 准教授 / 2013年度ALFPフェロー
私が16歳のタケシと初めて会ったのは、博士論文のためにデータを集めていた2010年、大阪の小さなカフェで彼の母親と祖母にインタビューしたときだった。母親も祖母もフィリピン人で、以前はエンターテイナーとして働いていた。タケシは物静かな少年で、恥ずかしそうに「アドボ」(酢とニンニクとしょうゆで煮込んだ典型的な「フィリピン」フード)が大好きで、毎週日曜日に近所のカトリック教会にミサを聞きに行くと話してくれた。20歳になったらタケシは国籍を日本からフィリピンに変更するかもしれないと、母親のリンダは誇らしげに語った。
ケンジのフィリピン人の母親、チョナとは、名古屋のカトリック教会が催したバイブルキャンプで知り合った。ケンジは、フィリピン人の血が流れていることに対する否定的な感情を隠そうともしなかった。クラスメートたちは、ケンジの母親がフィリピン人だと知ると彼をいじめた。親戚たちが日本からのお土産を要求するので、ケンジはフィリピンに行くのも好きではない。だがフィリピン人の母親と結び付けている教会に、毎週日曜日行くことには肯定的だ。
タケシもケンジもフィリピン人女性と日本人男性との結婚で生まれた子どもであり、こうした、国籍あるいは出身民族が異なる配偶者間の結びつきを国際結婚と呼ぶ。しかし、タケシとケンジの両親の結婚は国際移住の結果である。具体的には彼女たちフィリピン人女性が日本でエンターテイナーの仕事を探すために国境を越え、最終的に日本人男性と結婚したのである。従って、国際移住という文脈において国際結婚とは、夫婦の社会人口学的な相違点や、夫婦という結びつきの法的側面だけを意味するものではない。加えて、社会学者のアスンシオン・フレズノーザ=フロットとグウェノーラ・リコルドが言う「夫婦の家族形成プロセス、社会生活、センスメイキング(意味づけ)、戦略を方向づける、多様な移住、市民権、家族政策を掲げる国民国家間のダイナミックな相互作用」2 を大局的に捉えるものでもある。
家族形成とそのプロセスは、国際結婚の最も複雑で繊細な変遷過程を表している。文化の違いにより必然的にあつれきが生まれるため、文化的接触が起きたり、アイデンティティの形成あるいは再構築が行われたりする空間の交渉や主張、駆け引き、譲歩が必要になる。子どもの養育はこれらの最も影響力のある空間の一つであり、タケシとケンジは同時に二つの異なる文化に属するという複雑な背景を持つため、結果として相反する感情を同時に抱くことやアイデンティティの変動が起きる。「複数の伝統を受け継いだ子ども」、「異文化間に生まれた子ども」、「国際結婚で生まれた子ども」など、タケシやケンジの境遇は、さまざまな学術用語で表現されているが、日本には、「ハーフ」、「ダブル」、「混血児」など、彼らに向けた蔑称もある。彼らをFilipino-Japanese(フィリピーノ・ジャパニーズ)あるいはJapanese-Filipino(ジャパニーズ・フィリピーノ)と呼ぶとき、言語学的にみれば、このハイフン「-」は、二分する2つの民族集団の間にアイデンティティがきれいに確立されていることを示している。しかしケンジとタケシの例から、それが真実でないことが分かる。
国際結婚と家族形成、特にフィリピン人と日本人の間の結婚と家族形成に関する私の研究から、移住者が、受け入れ国で生活する上で直面する困難に立ち向かい、克服する過程は、もはや同化プロセスで説明できないことが分かっている。グローバル化が進み、情報へのアクセスが容易になったことから、移住が持つ追放の意味合いは多少なりとも弱まっている。トランスナショナリズムにより、政治的か文化的かにかかわらず、受け入れ国だけでなく出身国でも移住者が絆を結ぶことができるようになり、その結果「ホーム(ふるさと)」という概念が多層化した。今や疎外感にはいくつかの側面があり、孤立や帰属意識の欠如だけでなく、かつてはなじみがあり意味を持っていたアイデンティティのシンボル同士の関係が分断され、途切れてしまったという、予想だにしない現実を突きつけられるのもその一つである。この過程で、移住者はアイデンティティを再構築し、シンボルの意味について交渉し、分裂の意味合いを理解する空間を探す。文化研究者のホミ・バーバ3 はこれを「第三の空間」と呼ぶ。これは新たな主観的立場の出現を可能にする、中間にある交渉のための空間のことだ。こうした立場は、2つの文化の要素が混じり合うことから生まれ、限定的あるいは本質主義的な文化的アイデンティティの有効性と正当性に異議を唱えるものである。従って、タケシが「フィリピン人のほうが親切で幸せ」だからフィリピン人でありたいと公言し、「アドボ」を食べ、母親を連想させる宗教であるローマ・カトリックの教徒でありながら、日本のパスポートを持ち、日本語を話し、日本の学校へ通うとき、彼のアイデンティティは「ハイブリッド」になる。これは、フィリピン人でも日本人でもない、国際移住の文脈において社会的に構築された流動的なアイデンティティだ。「本物」の日本人またはフィリピン人になるのではなく、「その瞬間瞬間」で日本人になったりフィリピン人になったりする。そして、こうした瞬間は終わりがなく、いつも思いがけずやってくるので、分裂と分離が発生する。タケシとケンジにとって、共通の基準では計れないこうした「瞬間」と継続的な交渉こそが、彼らを国際結婚から生まれた子どもとして定義づけているのだ。
また、こうした類型化できない瞬間と継続的交渉から、多文化主義の見方に新たな側面が生まれる。タケシとケンジの話から、多文化主義が効果を発揮するのは、日常的な文化の接触においてだということが分かる。つまり、あつれきを弱め、あるいは解決する行動戦略を立てるために移民・移住者が活用する社会的、政治的、経済的、ないしは歴史的構造と、私的でささいな瞬間が作用し合うときだ。従って、われわれは多文化主義を「文化的に異なる人々が力を合わせて美しい音楽を共につくり上げること」と単純化することはできない。むしろ多文化主義は「第三の空間」の瞬間と、安定しない瞬間を制度的構造や政府の政策が認識し、取り組む過程であるといえる。そうなれば、タケシとケンジのアイデンティティにおけるハイフンは、もはや意味を持たなくなる。
※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。
古代王国ガンダーラ地域への宗教・文化観光が促す多文化主義と宗教間の調和と平和
古代王国ガンダーラ地域への宗教・文化観光が促す多文化主義と宗教間の調和と平和
ファザール・ハリク / Fazal Khaliq(パキスタン)
ドーン・メディア・グループ リポーター / 文化活動家 / 2017年度ALFPフェロー
パキスタンのカイバル・パクトゥンクワ州にあるガンダーラ地域は、およそ2000年前、多文化・多宗教の活動の中心地であり、さまざまな文化的背景を持つ人々が協調して生活していた。
ヒンズー教、仏教、ジャイナ教、ゾロアスター教や、ペルシャ、ギリシャ、ローマの各宗教など、さまざまな宗教や文化の信奉者たちが平和に暮らしていた。考古学者や文化の専門家によると、宗教的調和という概念が生まれ、発展したガンダーラは、世界初の完璧な多文化共生のモデルとなった。
この地域はまた、南アジア、中央アジア、東南アジア、ヨーロッパの間の教育・宗教・文化・交易活動の中心地として活気があり、人々がひっきりなしに出たり入ったりを繰り返していた。さまざまな理念が流入したことで、ガンダーラ美術は多様性と崇高なテーマを持つ、比類なきアイデンティティを確立した。要するに、ガンダーラは経済活動などによるグローバル化の影響を受けた最初の地域だったといえる。
現在、タキシラ、ペシャワール、チャルサダ、マルダン、スワート、ブネール、マラカンド、 ディールなどを含むパキスタンのガンダーラ地域の各地には、仏教徒、ヒンズー教徒、ペルシャ人、ギリシャ人、ローマ人およびイスラム教徒にとって、極めて重要な、何千もの神聖な考古学的遺跡が存在し、それらを見るために世界中の人々がこの地を訪れたいと考えている。
しかし、認識の欠如と誤った宗教的信念が原因で、地元のイスラム教徒たちはこのような考古学的遺跡を、自分たちには何の得にもならない単なる廃墟か構造物と考えている。そして、その知識の欠如ゆえに、計り知れないほど価値のある芸術品や重要な遺跡を破壊してしまう。最近まで、遺跡保全に対する理解がなく、保全にメリットも見出せず、政府の関心もほとんどなかったため、いくつかの価値ある遺跡が荒廃する結果になった。
こうした史跡は、それらの破壊を試みる過激派の標的にもなった。7世紀に造られたジャハナバードの磨崖仏の破壊は、彼らの最も卑劣な攻撃の一例である。
保護と保全の取り組み
スワート渓谷とカイバル・パクトゥンクワ州にある、さまざまな宗教や国の貴重な考古学遺産・文化遺産を保護・保全するために、私は友人たちと共にグループをつくり、種々の活動に着手した。
- 最初に、学校や大学で遺跡の重要性についての意識を高める活動を始めた。文化遺産の重要性についての講演やプレゼンテーション、対話形式のセッションを行った。
- 対話形式のセミナーを開催して、一般市民を啓発した。
- 崩れかけた遺跡の保護と保全を訴えるメディアキャンペーンを立ち上げた。適切なドキュメンタリービデオ、資料映像、活字媒体やウェブに掲載する記事を作成して、国際社会、とりわけ仏教徒、ヒンズー教徒、文化遺産愛好家、歴史家、研究者に情報を提供し、アピールした。
- 市民社会のメンバーや若者を含んだグループをつくり、政府機関や非政府組織に対して、遺跡の保護・保全のために着実な措置を講じるよう強く求めた。
- 神聖な遺跡を訪問する旅行者を国内外から誘致する計画を立案した。
成果を励みに
一連の活動が三つの効果を上げた。第一に、学生や若者たちが関心を持ち始め、豊かな文化遺産に配慮するようになった。第二に、旅行者が遺跡を訪れるようになると、文化遺産から利益を享受できることを地域社会が認識し始めた。第三に、政府関係機関が世論の批判を避けるために、文化遺産を保護するようになった。
現在は5年前と比べて状況が変化しており、カイバル・パクトゥンクワ考古学・博物館理事会1 の報告によると、宗教・文化遺産を訪れる旅行者は50%以上増加し、国の外貨獲得に貢献している。
このように、何世紀も前に造られた文化遺産が、ようやく多方面に利益をもたらすようになった。われわれの取り組みにより、今では、東南アジアから主に仏教徒である多くの旅行者が、神聖な仏教遺跡を訪れて礼拝することができるようになった。また研究者は調査のために、文化遺産愛好家は自らの渇望を満足させるために遺跡を訪れることができる。現在では、地元の人々、特に若者たちに、こうした遺跡を守る当事者意識が生まれ、遺跡の近くや周辺に住み経済的な恩恵を受けている人々は、遺跡を保護する取り組みを始めている。
多文化共生に向けた一歩
おそらく、文化・考古学遺産がもたらす最大のメリットは多文化共生への貢献であろう。多文化共生は、さまざまな国籍の巡礼者や旅行者、研究者がこの国を訪れた結果生まれた。
多様な文化的背景を持つ旅行者が訪れて、われわれの社会にさまざまな恩恵をもたらしている。
地元の人々がブータン、韓国、タイ、中国、その他の東南アジア諸国からの仏教徒の巡礼者と出会い交流すると、互いのことを学び、友情を育み、互いの文化を尊重し始める。
巡礼者や旅行者は地元の交通機関、食事、宿泊や買い物にお金を使い、地域経済に貢献するため、地域住民に経済的な恩恵をもたらしている。
旅行者や巡礼者は地域の催し物や文化イベントに参加するので、互いに対する尊敬の念が生まれる。これは、訪問者と地元の人々が互いの文化や伝統を学び合うことにもつながる。
地域住民は旅行者をもてなしの心をもって歓待し、食事や滞在場所を提供する。このようにして、旅行者はもてなしの文化と、考古学遺産の保全に向けたわれわれの真剣な取り組みについて知るであろう。
旅行者も地元住民も、互いに尊重し合うことで、多元的共存や共生の機会を生み出しながら、相手には自分とは異なるつながりがあることを学ぶのだ。
頻繁に交流し、互いの文化や伝統を学び、互いの規範を尊重することは、多様な文化的背景を持つ、さまざまな国籍の人々の間での調和を実現する最善の方法である。われわれの文化遺産は今や、宗教間の調和と永続的な平和を生み出す源になろうとしている。
民族的・宗教的調和が存在した、ガンダーラにおける多文化主義の黄金時代が、観光と巡礼によって再びやってきた。古代王国ガンダーラの地で宗教・文化観光を推進するために必要な措置を取るかどうかは、パキスタン政府に委ねられている。
※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。
発展途上にある多文化共生
発展途上にある多文化共生
ダイアナ・ウォン / Diana Wong(マレーシア)
新紀元大学学院 学部長 / 1998年度ALFPフェロー
人の移動と多文化共生は、東南アジアにおいて何世紀も前から生きた現実だ。インドと中国の偉大な文明の間に位置するこの戦略的な地域で、そして後には、植民地世界の大港湾都市で、ヌサンタラ(東南アジアの島嶼軍)とナンヤン(南洋)の海域世界が出合い、交易し、交流した。アジア各地からやって来た、異なる言語を話し、異なる宗教を信仰する移民や難民がこれを、「自分たちの生計は、他の誰でもなく、自分たちが義務を負うもの」という共通の信念のもと、文化的に多元で社会的に開かれた世界へと変えた。のちに名高い歴史学者となる王賡武(ワン・ガンウー)は、戦時下の中国・南京で過ごした後東南アジアに戻ったとき、中国大陸での閉鎖された社会と比べて東南アジアが「開かれた」社会であることに驚いた。
一方で、東南アジアの多文化移民社会の現実には別の側面もある。ファーニバルの有名な描写にある、植民地国家の保護下で管理されない移住・移民がもたらす、機能不全の「多元社会」だ。この多元社会モデルでは、植民地国家の監視の下、異なる社会集団がそれぞれ別の生活を営み、会うのは市場に限られている。しかしながら、19世紀の植民地社会を表すこの描写は、偶然の出会いがあったり、人々が日々交流したり順応しながら過ごす市場および民間信仰の祭り、学校、さまざまな背景を持つ人が入り交じった地域などの「ミドル・グラウンド(中立的な場所)」の存在を見落としている。このようなミドル・グラウンドは空間的・社会的な境界線の中に限られており、その外では個々のグループがそれぞれの生活や習わしを維持する形で多文化共生が実現されていたが、境界が穴だらけ状態で、社会的な実験や変化が見られる空間としてのミドル・グラウンドの重要性は、見過ごすべきではなく、また軽視すべきでもない。
移住そのものが本質的に集団の形をとる傾向にあり、移住者は新たな環境で新たな生活を模索する中で、必然的に互いに助けを求め、集団化するものだ。さらに、ほとんどの場合は、移住者を一般市民から隔離し、外との交流を避けた特別な地域をあてがうのが国の方針である。これはアジアの帝国(唐時代の中国やマラッカ王国)だけでなく欧米の旧宗主国も同様で、さまざまな文化的背景を持つ従属民に対する暗黙の政策は「分割統治」だった。
従って、移住と多文化共生に関する東南アジアの経験を論じるに当たり、過去のコスモポリタニズムを美化すること、そして社会の閉鎖性とあつれきが避け難いものと強調することはどちらも危険である。国民国家としてのマレーシアの近年の歴史が示すように、多文化共生はまだ発展途上の段階にある。移住者が定住し、植民地が独立と自治を獲得する過程で、主権国民国家内における多文化共生の条件を交渉する必要があった。人種と宗教という政治的・経済的問題により、交渉は難航し、今も最終的な合意に至っていない。
過去数十年に世界各地で起きた人の移動は、かつて「同質」だった国民国家を、植民地時代および植民地独立後の時代の多民族的な「多元」社会型の政治的実体に変化させた。それに付随する問題が依然として存在する中で、多文化共生の問題、より具体的には多文化共生がよりどころとすべき、あるいはよりどころにできる条件に関わる問題が、至るところで緊急性を帯びている。筆者は次のような教訓をお互いから学ぶ必要があると考える。
日常的な違いに対する社会的受容
これまで、国境地帯や植民地社会における「ミドル・グラウンド」の経験は、(人との間に)違いがあるという社会的な事実や、その事実を認めることに、慣れたり受け入れたりすることを容易にしてきた。これで偏見や固定観念が払拭されるものではないが、市場や街中など公共の場所での社会的交流が促される。これは社会性の一形態であり、軽んじたり無視したりすべきではない。このような非公式の交流から他者への認識が生まれる。こうした交流がないと無視や無知、さげすみが起きる。このようなミドル・グラウンドがなければ、正規の法律で移民・移住者を規制しようとする国家の試みにより彼らの存在が目立ち、それによって生じる恐れや拒否反応も強調される。経済協力開発機構(OECD)諸国における移民および難民統治の過度な法制化は、移民管理の財政的・経済的コストを上昇させるだけでなく、こうしたコストの上昇を許すことで、移民の受容に関する社会的コストも上昇させる。
国による法的規範の制定と優れたガバナンス
マレーシアは経済を維持するために、低賃金の移民労働者を採用するというリベラルな政策を導入して、国内の賃金水準と資本投資に悪影響を及ぼした。公式の発表では、マレーシアの全労働力に占める外国人労働者の比率は、2017年に12%だった。最近の論文では、不法労働者が国内に遍在していることを考慮し、最大で600万の外国人労働者がマレーシアで働いており、そのうち合法的に働いている者が227万人、不法労働者が250万〜337万人いる可能性を指摘している。合法・不法いずれのカテゴリーに属する労働者も、十分な法律上の権利や保護を享受していない。問題の本質は主に、外国人労働者の募集、採用手続き、就職あっせんが年間20億リンギット(約500億円)を超えるビジネスであり、その収益を政府高官と密接なつながりを持つ人材あっせん企業が得ていることにある。腐敗がはびこり、搾取が横行している。差し迫って必要なのは、移民管理に関する透明性のある法律の制定と優れたガバナンスだ。現在の、移民が負担するコストと、地域社会にかかる外部コストは実に高すぎる。
人の移動——すなわち移動する能力、意思、そしてしばしば発生する移動の必要性は、人が生きる上で欠かせないものだ。移住は個人や社会にとって常に、自己改革の機会であり続けている。同時に、知らない人や自分とは異なる生活様式を受け入れられない、あるいは受け入れたくない人や社会にとっては脅威である。今日、移住と多文化共生は世界共通の課題であり、好意や善意溢れる「受容の文化」だけでは解決できない深刻な問題だ。ヨーロッパが近年経験した集団移住の問題から明らかになったのは、無責任なポピュリスト政治家が政治の舞台を乗っ取り支配する前に、冷静に議論し、有効な政策を策定することの必要性だ。国、市民社会、移民・移住者など、関係者は皆、積極的に過去の経験から学び、ミドル・グラウンドに出て行かなければならない。
※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。
ALFP eマガジン第6号発行のお知らせ
ALFP eマガジン第6号発行のお知らせ
ALFP eマガジンの第6号を発行いたしました。
本号のテーマは「Migration and Multicultural Coexistence(人の移動と多文化共生)」です。ここ数十年にわたり国際移住者の数が急増し、これまで以上に世界中の多くの人々が当事者として日々直面している課題について、ALFPフェローを中心としたアジアの専門家たちがさまざまな角度から論じます。
「移住と多文化共生を、政治的対立を生む破壊的な力ではなく、社会を豊かにする力とするため」に、社会や個人が参考にできる多文化共生の実例にはどのようなものがあるでしょうか。ぜひご一読いただくとともに、関係者ならびにご関心を持っていただけそうな方々にも共有していただけると幸いです。
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第6号「Migration and Multicultural Coexistence」内容
● ゲストエディター: Diana Wong(新紀元大学学院 学部長 / 1998年度ALFPフェロー) 概要
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● Diana Wong(新紀元大学学院 学部長 / マレーシア)「発展途上にある多文化共生」
● Fazal Khaliq(ドーン・メディア・グループ リポーター / 文化活動家 / パキスタン)「古代王国ガンダーラ地域への宗教・文化観光が促す多文化主義と宗教間の調和と平和」
● Nelia G. Balgoa(国立ミンダナオ大学イリガン工科校 准教授 / フィリピン)「ハイフンという問題:国際結婚で生まれた子どもたちとアイデンティティ」
● Zhang Yali(ニューヨーク市立大学大学院センター 政治学博士 / 中国)「国際移住問題に対する包括的アプローチの必要性」
年末年始休業のお知らせ
年末年始休業のお知らせ
ALFP事務局は、12月27日(金)15時から1月5日(日)まで年末年始のため休業とさせていただきます。休業中のお問い合わせにつきましては、1月6日(月)以降順次お返事させていただきますので、ご理解の程よろしくお願い申し上げます。
ALFP eマガジン第5号発行のお知らせ
ALFP eマガジン第5号発行のお知らせ
ALFP eマガジンの第5号を発行いたしました。
本号のテーマは「Gender Issues(ジェンダー)」です。女性のみならず社会のあらゆる人々にかかわるジェンダーの問題について、ALFPフェローを中心としたアジアの専門家たちが論じます。
平和な未来に向けて活動する、さまざまなアイデンティティを持った人々の団結が可能な社会を築くにはどのような課題が考えられるでしょうか。ぜひご一読いただくとともに、関係者ならびにご関心を持っていただけそうな方々にも共有していただけると幸いです。
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第5号「Gender Issues」内容
● ゲストエディター: Urvashi Butalia(Zubaan発行者 / 2000年度ALFPフェロー) 概要
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● Maria Hartiningsih(作家 / フリージャーナリスト / インドネシア)「言論の場を求める集団闘争」
● 澤西三貴子(国連民主主義基金(UNDEF) 次長 / 日本)「国連の窓からジェンダー平等を考える」
● Sepali Kottegoda(Women and Media Collective プログラム・ディレクター / スリランカ)「無償のケア・ワーク——誰の仕事かが重要な理由」
無償のケア・ワーク——誰の仕事かが重要な理由
無償のケア・ワーク——誰の仕事かが重要な理由
セパリ・コテゴーダ / Sepali Kottegoda(スリランカ)
Women and Media Collective プログラム・ディレクター / 2004年度ALFPフェロー
無償のケア・ワークの現状は、無報酬でケアを行う人々が有償労働市場に参画し、有償労働者として定着できるかどうかに影響を与えるとともに、ケアに携わる者すべての労働状況に影響を及ぼす。この「無償のケア・ワーク―有償労働―有償のケア・ワークの循環」も、ケア・エコノミーの外側の有償労働における男女不平等に影響を与えているほか、家庭内の男女平等や、無償のケア・ワークを提供できる男女の能力にも影響している。1
家族の面倒をみる。家族の幸せ。食事の支度。洗濯。家計の管理。子どもや老人など能力がまちまちな家族の世話。これらは日々の仕事で、常に誰かが誰かのために行っている。日常の家庭生活で普通に受け入れられている規範や当たり前と考えられている慣行——これらは、実は「社会規範」という枠組みに深く根差している。だから何だと質問する人もいるだろう。これまでそうしてきたし、そうあるべきだし、これからもそうだから。ケア・ワークは誰かがやらなければならないことであり、常に誰かがやっている。問うべき(とはいえ、大抵は問われない)は、「誰が、なぜケアするのか」ということである。
ここでの問題は、「ケア」の概念が必ずしも「ワーク(仕事)」と結びついていないことである。「ケア」はしばしば、利他主義や無私に基づく行為、あるいは家族のための自己犠牲とひとからげにされている。また、ケア(世話)は女性の仕事という性別による労働分担とも関わっている。主流派の経済学や一般の人々認識において「ワーク(仕事)」は、例えば「仕事がある」や「仕事を探す/雇用される」などの、金銭収入をもたらす活動として理解されている。家庭の中の、一見「自然」に見える労働分担の根底にある社会的、経済的、政治的な要因について、疑問を投げかけたり批評したりすることは皆無である。
19世紀にフリードリッヒ・エンゲルスが著した『家族・私有財産・国家の起源』(岩波書店、1965年など訳書多数)は、家庭内における女性の抑圧を、女性に対する経済的抑圧の結果として社会主義の立場から検討した先駆的な著作である。2 1980年代のフェミニストは、女性の仕事と労働の問題に焦点を合わせ、グローバル資本主義市場が商品を生産するための労働力として女性労働者を求める場合に、子どもを産む性としての女性の役割の重要性を認識していない点を鋭く考察した。3 1990年代末には、女性が家事労働に費やす時間を計測する国民経済計算の制度の開発に対する関心が高まった。フェミニストの経済学者は、こうした計測値が、家庭内で行われている無償のケア・ワークの社会的側面を依然として考慮していないと論じていたが、他の研究者には、国民経済計算の手法は、労働、社会支援プログラム、男女平等に関する有意義な政策変更に向けて、無償労働の社会的側面を織り込めるように設計されているはずだと主張する者もいた。4
こうした議論のなかでこそ、私はスリランカにおける無償のケア・ワークの問題を取り上げたいと願っている。スリランカのケア・ワークが、政策に関する主流の経済論議の蚊帳の外に置かれ続けているからだ。
スリランカの経済社会指標の一部を簡単にご紹介すると、推定人口2,100万人のうち、51%が女性、49%が男性である。国による医療保険・教育サービスの提供の歴史は長く、支援サービスは広範囲に行き渡り、老若男女を問わず利用されている。5 男女比(女性100人当たりの男性の数)は、2012年の総人口では93.8人、60歳以上の人口では79人であったが、2032年までに、総人口では92人、60歳以上人口で78人になると推定されている。6 つまりスリランカは今後20年間で高齢化する中で、男性より女性の高齢者の数が大幅に増えるということを認識する必要がある。またその結果として、家庭にいる高齢女性の大半がケアを必要とするようになると考えられる。
教育・医療サービスの無償提供の歴史が長い点で、スリランカは立派な事例であるが、女性の労働参加率は34.9%と、男性73.4%のほぼ半分である。7 「経済活動に参加していない」に分類される推定770万人のうち、74.3%が女性である。ここで問題となるのは、女性の60.5%と男性の4.9%が「家事に従事」しているということである。8
ここには本質的な問題がある。それは「労働 (labor)」や「仕事 (work)」の概念(の国際的定義)の中に、どのような基準や価値(社会的、経済的、政治的)が内在しているかという問題である。家庭における家族の世話を中心とした家事労働に、その経済的価値が認められない理由は何なのか。さらには、「フォーマル・セクター」や「インフォーマル・セクター」を問わず、所得を得る何らかの活動に従事する女性は、経済的価値を与えられない「家事労働」も行うことが期待されているし、実際に行っている。またこうした女性(や男性)が行う家事労働 も、経済開発を目指す政策には織り込まれていない。家庭内の私的な仕事も、所得を得られる公的な仕事も、両方がその価値を評価されるようにするために、フェミニストの視点を踏まえた議論を取り入れるときではないだろうか。すべての国民の発展を目指す効果的な政策の立案や実施を妨げる男女差別的な社会規範や慣行に異議を唱えようとするなら、無償のケア・ワークの存在を認知し、それらの無償労働を減らし、再配分することが不可欠だと認めるときではないだろうか。
※本記事の内容や意見は著者個人の見解です。